2010年5月10日 (月)

冨田起草委員長のNPT講座 第13回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.いよいよNPT再検討会議の開催です。このチャンスを活かし、「核兵器のない世界」への扉を開くのは世界諸国民の圧倒的な世論と運動の力だとおっしゃいましたね。

A.日本からも数多くの人々がNGO代表として国連本部のあるニューヨークに駆けつけています。日本原水協関係だけでも1500人にのぼる大規模な代表団ですね。ひとりひとりがたくさんの人々の「核兵器のない世界」への願いを託されて送り出された草の根の代表です。数百万の署名に託された被爆国民の核兵器廃絶への思いをNPT再検討会議に届けるため奮闘されるよう期待したいと思います。

 ニューヨークでは、「平和と正義のための全米連合」や「廃絶2000」の友人たちが、世界中からのNGO代表、草の根の代表を迎え、最大規模の行動を組織する準備を整えています。そして国連本部では、2008年、2009年と原水爆禁止世界大会に正式代表として参加されたドゥアルテ国連軍縮上級代表が出迎えてくれます。

 2007年1月のキッシンジャー氏ら4氏のよびかけと昨年4月のプラハでのオバマ大統領の演説は「核兵器のない世界」に向け、一条の光を射し込みました。暗闇のなかに射し込んだこの光を手掛かりに、そこに力強く手を挿し込んで、扉を全開までこじ開け、押し開くのは、もはや彼らの仕事ではありません。それは私たち、地球規模で連帯した世界の諸国民のなすべき仕事です。

 とりわけ「ヒロシマ・ナガサキをくり返すな」「核兵器なくせ」の被爆者の悲願を胸に、「被爆者とともに」歩んできた日本の原水爆禁止運動にとっての正念場です。

 キッシンジャー氏らのよびかけに「核兵器のない世界」への新たな広がりの予兆を見た原水爆禁止2007年世界大会「国際会議宣言」は、「核兵器のない平和で公正な世界の実現は可能である」と高らかに宣言しました。それからおよそ3年。世界は大きく動き出しました。世界の潮目は変ったのです。

 「核兵器はなくせるか?」と問われたら、オバマ大統領ではありませんが、力強く〝Yes,We Can!!〟と答えたいと思います。そうです、〝I〟ではなく〝We〟です。「核兵器のない世界」を求める世界中の〝We〟なのです。

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2010年4月 7日 (水)

冨田起草委員長のNPT講座 第12回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.いよいよNPT再検討会議の開催が目前に迫ってきました。「核兵器のない世界」に向け歴史的な一歩が踏み出されることへの期待が、日に日に高まってきていますね。

A.いよいよ一ヶ月後ですね。今回のNPT再検討会議を核兵器廃絶への絶好の機会とするために、さまざまな努力が結集されてきました。なんとしてもそれを実らせたいですね。

 今回のNPT再検討会議を成功させるため、国際政治の場での準備は着々と進められてきました。もちろんさまざまな抵抗や巻き返しはありますが、舞台は整ったと言ってよいと思います。

 オバマ大統領のプラハ演説の直後の昨年5月にNPT再検討会議準備会合が開催され、今回の再検討会議の議題が設定されました。設定された議題には核兵器廃絶の「明確な約束」を含む2000年再検討会議の「最終文書」についての討議があげられています。「明確な約束」の再確認とその実行について議論されることは、すでに決まっているわけですね。議題の設定すら思うようにできなかった2005年の再検討会議とは雲泥の差だということです。

 さらに昨年9月、オバマ大統領が議長として主宰した国連安保理首脳級会合で採択された安保理決議1887にも注目すべきでしょう。米国の大統領が自ら安保理の議長を務めること自体が異例だったわけですが、安保理常任理事国である核保有五カ国(NPTの「核兵器国」)が一致して、「核兵器のない世界に向けた条件を創出することを決意し」、「NPT加盟国に対し、条約第6条に従い、核軍備削減と軍縮に関する効果的な措置について、誠実な交渉の追求を約束するよう求める」としたこの決議は、今回のNPT再検討会議に向けて打たれた重要な布石ですね。

 最近では、3月のNPT発効40周年にあたっての声明で、「核兵器のない世界」に向け米国が主導的役割を担うという決意をオバマ政権が改めて表明したことも重要です。

 しかし問題は、あくまでもこの絶好のチャンスを活かし、核兵器廃絶への扉を押し開くのは、地球規模で連帯した諸国民の圧倒的な世論と運動の力、とりわけ草の根からの市民の声にほかならないということです。

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2010年3月10日 (水)

冨田起草委員長のNPT講座 第11回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.政府(GO)と非政府組織(NGO)、草の根の市民の運動の地球規模での連帯が、NPT再検討会議成功のカギを握っているとのことですが、唯一の被爆国・日本の政府の動向も気になるところですね。

A.歴史的な政権交代によって登場した鳩山首相は、その外交デビューとなった昨年秋の国連演説で、「唯一の被爆国としての道義的責任」として、オバマ大統領の「核兵器のない世界」の構想への共鳴を表わすとともに、「非核三原則」の厳守と核軍縮・核不拡散を主導する積極外交の展開を誓約しました。この国際公約を真摯に実行することこそが、鳩山政権に求められているわけですね。

 発足直後の鳩山政権は、「非核三原則」を裏切ってきた日米間の「核密約」の調査・検証・公表を約束しました。そして実際に、日米安保条約の改定、沖縄の返還、空母ミッドウェーの横須賀配備に際して日米間で交わされてきた「核持ち込み」に関する「密約」が、つぎつぎと発見されました。これらは、まもなく正式に公表されることになるでしょう。

 日本国民は数十年にわたって日米両政府に欺かれ続けてきたわけです。それがいま白日の下にさらされようとしているのですから、政権交代のもたらした大きな成果だと言えるでしょうね。このことは素直に認めてあげてもよいのではないでしょうか。

 でも鳩山政権が唯一の被爆国の政府として、「核兵器のない世界」の実現に積極的な役割を果たせるか否かは、結局は「核抑止力」という考え方ときっぱりと手を切れるかどうかにかかっているのだと思います。ここでも問われているのは、「核の傘」(=核による「拡大抑止」)を含む「核抑止力」論と決別できるかということです。

 残念ながらこれに関しては、鳩山政権にはずいぶん心もとない点があるわけです。鳩山首相や岡田外相は、日米同盟そのものや沖縄に駐留するアメリカ海兵隊を「抑止力」と認めるような発言をくり返しています。こうした姿勢が「普天間問題」を複雑にしていることは言うまでもありません。「抑止力」という発想そのものからの脱却が必要なのだということです。

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2010年2月 6日 (土)

冨田起草委員長のNPT講座 第10回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.核兵器廃絶の「明確な約束」は、新アジェンダ連合や非同盟諸国など、核兵器廃絶を求める諸国政府の努力の成果として、2000年NPT再検討会議の最終文書に盛り込まれたのでしたね。

A. もともと期限付きの条約だった核不拡散条約(NPT)は1995年に、無期限延長されました。そもそもNPTは5年に一度の再検討会議で、その運営状況を検証するという取り決めになっているのですが、2000年、無期限延長後はじめて開催された再検討会議で、核兵器廃絶の「明確な約束」という歴史的な成果がかち取られたわけですね。

 この「明確な約束」を盛り込ませるために奮闘したのは、言われる通り、新アジェンダ連合や非同盟諸国といった「非核の政府」ともいうべき諸国の政府だったわけです。

 とりわけ新アジェンダ連合は、1998年にNPT再検討会議を舞台に核兵器廃絶にむけ新たな共同行動をとろうと結成された国家連合で、スウェーデン、アイルランド、ブラジル、メキシコ、ニュージーランド、エジプト、南アフリカの7カ国が参加しています。

 1960年代以来、平和、開発、貧困などの問題をめぐって国際社会で重要な役割を果たし、いまや120カ国近くまで拡大してきた非同盟諸国とともに、核兵器廃絶をめざす諸国政府は国際社会のなかで、圧倒的多数派を形成しているわけですね。

 この新アジェンダ連合や非同盟諸国の政府(GO)の重要な特徴は、日本被団協や日本原水協をはじめとする非政府組織(NGO)、つまり世界の草の根の市民の運動や組織との連携と協力を積極的に追求していることです。近年の原水爆禁止世界大会にも、こうした諸国から外務省幹部や軍縮大使、駐日大使といった政府の公式代表がたくさん参加するようになっています。

 2000年のNPT再検討会議で、核兵器廃絶の「明確な約束」を引き出した新アジェンダ連合や非同盟諸国の政府(GO)と、原水爆禁止運動や「廃絶2000」、「平和と正義のための全米連合」など世界の非政府組織(NGO)、草の根の市民の運動が、地球規模での連帯と行動をいっそう強固なものにしていくこと、それこそが今年5月のNPT再検討会議成功のカギを握っているのです。

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2010年1月13日 (水)

冨田起草委員長のNPT講座 第9回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q. ところで、核不拡散条約(NPT)といえば、特定の国だけに核保有の特権を認める不平等条約だったのではありませんか?この条約の本質に変化があったのでしょうか?

A. 核不拡散条約(NPT)は1968年に調印、1970年に発効した条約で、現在の締約国は190カ国。未加盟国はインド、パキスタン、イスラエルの3カ国を残すのみです。

 この条約が本質的に、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国という5つの「核兵器国」に核保有の特権を認める一方で、それ以外の国の核保有を禁止するという不平等性をもっていることは、いまもなんら変わりはありません。

 5つの「核兵器国」以外の国が核兵器を持とうとすることを核兵器の「拡散」というのですが、この「拡散」を禁止すること、つまり「不拡散」の取り決めと引きかえに、「核兵器国」は「誠実に核軍縮交渉を行なう義務」(第6条)を負うというのが、この条約のタテマエです。

 しかし「核兵器国」が、この「核軍縮」の義務を誠実に果たしてこなかったことは明らかですよね。イラクや北朝鮮、さらにはイランに見られるような「拡散」の動きに、国際社会が一致して対処し、その危険を防止していくためにも、「核兵器国」はNPT第6条に定められた義務を誠実に果たすべきなのです。

 もちろん「核拡散」の危険な動きは、どの国によるものだろうと、決して許されるものではありません。しかし、NPTの持っている不平等性をそのままにして、「不拡散」のみを問題にすることは、正統性を欠いています。

 「拡散」に対する唯一有効な対案は、現在の「核兵器国」も含めいかなる国の核保有も認めないこと、つまり核兵器を廃絶する以外にはないのです。

 2000年のNPT再検討会議の「明確な約束」とは、「第6条のもとですべての締約国が責任を負う核軍縮につながる、自国の核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」というものです。つまり、NPT第6条をタテマエに終わらせず、核兵器の「不拡散」だけを求めるのではなく、「自国の核兵器の完全廃絶」も達成するという「核兵器国」の約束だったわけです。

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2009年12月 9日 (水)

冨田起草委員長のNPT講座 第8回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q. これまでお話いただいたような新たな展望のもとで、核兵器廃絶への道を切り拓く絶好のチャンスとして、2010年5月にNPT再検討会議が開催されようとしているわけですね。

A. そのとおりです。もちろん、このまま何もせずにいても、「核兵器のない世界」への道が自然に切り拓かれるわけではありません。核兵器廃絶を求める世界諸国民の世論と運動を結集し、NPT再検討会議が確実な成果をあげるよう、力強く迫っていかなければなりませんね。

 来年のNPT再検討会議に期待されるのは、何よりもまず、10年前の再検討会議の「最終文書」が合意した、「自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」を再確認し、核兵器の完全な廃絶を目指すという確固とした政治的合意を実現することでしょう。こうした明確な政治的合意こそが、まず第一に必要なのです。

 もちろん、この合意のもとで、その実現にむけての具体的で実効ある措置が取られていかなければなりません。こうした措置には、核兵器の95%を保有する米ロの核兵器削減交渉のさらなる進展や包括的核実験停止条約(CTBT)の早期発効、兵器級核物質生産禁止(カットオフ)条約の締結、核兵器の先制不使用の宣言、非核兵器国に対する核兵器使用の禁止、非核地帯の創設と拡大などがあります。

 しかし大切なことは、核兵器の廃絶はこうした部分的な措置の単なる積み重ねによっては、実現しないということなのです。「核兵器のない世界」を実現するには、核兵器を廃絶するという政治的合意をもとに、これを実現するための法的な枠組みをつくらなければなりません。それが、原水爆禁止世界大会が一貫して求めつづけてきた核兵器全面禁止・廃絶条約です。もちろん名前にこだわるわけではないですから、核兵器条約と呼ばれようと、包括的核兵器禁止条約と呼ばれようとかまわないのですけどね。

 2010年のNPT再検討会議に期待されることは、こうした法的枠組み、つまり核兵器全面禁止・廃絶条約の締結にむけ、少なくともその交渉開始が合意されることにほかなりません。

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2009年11月12日 (木)

冨田起草委員長のNPT講座 第7回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q. 今年の「国際会議宣言」も、「核兵器のない世界の実現のためには、『核抑止力』論をはじめ、核兵器を安全保障の手段と見なす誤りに、きっぱりと終止符を打たなければならない」と力強くよびかけていますね。

A.そのとおりです。核兵器によって「平和」や「安全」を守るという誤った議論ときっぱりと手を切ることなしに、「核兵器のない世界」は実現できません。

 その点では、「核兵器が存在する限り、わが国はいかなる敵であろうとこれを抑止し、同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します」と語ったオバマ大統領のプラハ演説に重大な限界があることも事実なのです。こうした限界を打ち破るためにも、「核抑止力」論への批判を徹底的に強めていかなければならないわけです。

 とりわけ日本においては、アメリカの「核の傘」への依存が必要だという議論との決別が何よりも大切ですね。「核の傘」とは、核兵器による「拡大抑止」のことであり、まさに「核抑止力」以外の何物でもありません。北朝鮮の核実験やロケット(ミサイル)発射の問題もあり、日本では「核の傘」の必要性を声高に叫ぶ論調が後を絶ちません。

 北朝鮮の核実験は、「核抑止力」によって「安全」を求めようとする意図によるものでしょう。それは、「核兵器のない世界」への重大な挑戦であり、決して許されるものではないのです。しかし、この「北の核」に対して、アメリカの「核の傘」や日本の独自核武装を対置するのもまた、「核抑止力」論という同じ誤りに基づくものでしかないわけです。こうした誤りの連鎖にきっぱりと終止符を打つことこそ、唯一の被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に貢献する道ですよね。

 同盟国・日本が「核の傘」の維持を求めていることを口実に、「核兵器のない世界」の構想に基づく核戦略の見直しに抵抗しようとする勢力が米国内に存在するともいわれています。

 唯一の被爆国である日本国民の世論は重要ですね。日本の原水爆禁止運動の国際的な責任なのだといわなければなりません。

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2009年10月 7日 (水)

2010年NPT再検討会議にむけた課題と核兵器廃絶の展望

憲法改悪阻止愛知県各界連絡会議(愛知憲法会議)の機関誌『愛知憲法通信』からの依頼で、以下のような文章を寄稿をしました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

 私が原水爆禁止運動に出会ったのは名古屋大学法学部に入学した1978年。焼けつくような日射しのなか、汗まみれになりながら名大周辺を一軒々々訪ね歩き、核兵器廃絶の署名と募金を集めてまわったものだった。それから30余年、私は毎年欠かすことなく8月6日の広島、9日の長崎に身を置き、原水爆禁止世界大会に参加することとなった。いつのまにか安齋育郎先生のお手伝いで世界大会諸決議の起草作業に関わるようになり、この数年は安齋先生に代わって起草委員長を務めることとなった。徹夜々々の連続になる起草作業だが、それがどんなに過酷であろうと、いまさら辞めようとは思わない。大学1年の時の沢田昭二先生(被爆者、物理学者、日本原水協代表理事)との出会いにはじまる、30余年にわたる数多くの被爆者の方々との出会いと別れがあるからであり、「ふたたび被爆者をつくるな」「広島・長崎をくりかえすな」「核兵器なくせ」という被爆者の悲願に応えねばならぬという思いに、私自身が強く囚われているからである。

 被爆者は「報復」を望まなかった。自らの経験した想像を絶する悲惨と残虐を世界の何処にも誰の上にもくり返すなと願い、「自らの経験をとおして人類の危機を救おう」と決意したのだ。この悲願と決意の崇高さを心に刻みたい。「被爆者とともに」―これこそが、いかなる情勢の展開のもとにあっても揺らぐことのない、原水爆禁止運動と原水爆禁止世界大会の不動の原点なのである。

 今年4月のバラク・オバマ大統領のプラハ演説は、被爆者の悲願である核兵器廃絶の実現に新たな展望を切り拓いた。新たな希望の光が射したといってもよかろう。「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」として、「米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念をもって明言」するとしたこの演説は、世界最大の核兵器国が「核兵器のない世界」を国家目標(主語がオバマ個人ではなく米国であることに注目せよ!!)とすることを宣言したという意味で、まさに画期的なものである。その意義はどれだけ強調しても強調しすぎることはあるまい。

 もっともこの演説でオバマ大統領が、この目標が自分の「生きているうちには達成されないでしょう」としていることや、なによりも「核兵器が存在する限り、わが国はいかなる敵であろうとこれを抑止し」、「同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します」とつけ加えていることをもって、その限界を指摘することは可能だし、重要でもある。世界大会国際会議の「宣言」を起草する国際起草委員会でもこうした点の評価をめぐって熱い激論が交わされたことも事実である。

 しかし確信すべきことは、こうした限界はあるにしても、大局的には、オバマ演説が象徴する「変化Change」そのものは、世界諸国民の世論と運動の力がもたらしたのだということ、そうであればこそ、この限界を乗り越え、「変化」を核兵器廃絶の実現へと前進させる力もまた、世界諸国民の世論と運動以外にはないということであろう。

 モンゴメリー・バス・ボイコットに始まり、マルティン・ルーサー・キング牧師らが率いた黒人公民権運動なしに、オバマ大統領の登場はあり得ただろうか?イラク開戦時に欧米諸国でくり広げられたイラク反戦デモの数百万の隊列なしに、今日の事態はあり得ただろうか?さらには、被爆者の「核兵器なくせ」の声と「被爆者とともに」歩んできた原水爆禁止運動がなかったとしたらどうであろう?今年の世界大会は、先に述べた激論に始まり、世界の反核平和運動の代表たちがこうした確信を深め共有していく場となっていった。

 いずれにせよ、オバマ大統領による「核兵器のない世界」の提唱は、来年5月に迫った核不拡散(NPT)再検討会議を核兵器廃絶の実現への絶好のチャンスへと押し上げた。そこでの課題は鮮明であり、廃絶2000や国際平和ビューロー(IPB)をはじめとする世界の反核平和運動(NGO)も、新アジェンダ連合や非同盟諸国といった核兵器廃絶を追求する諸政府(GO)も、そして世界大会に2年連続で参加された国連軍縮担当上級代表のドゥアルテ氏も、ほとんど完全に一致しているといってよい。

 それは前々回2000年のNPT再検討会議の「最終文書」において確認された「第6条のもとですべての締約国が責任を負う核軍縮につながる、自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」(いわゆる「明確な約束」)を米国はじめすべての核兵器国に再確認させるとともに、この約束の誠実な履行のための具体的措置をとらせることである。

 今年の「国際会議宣言」が述べているように、「核兵器のない世界は、その実現そのものを共通の目標とし、法的な枠組みに合意し、誠実に実行してこそ達成できる」。「明確な約束」という政治的合意を再確認すると同時に、これを実現する具体的措置としては、そのための「法的な枠組み」を形成しなければならない。この「法的な枠組み」こそ、核兵器全面禁止・廃絶条約―核兵器(禁止)条約であろうと、包括的核兵器禁止条約であろうと、その名称にこだわる必要はない―にほかならないのであり、いま求められていることは、その締結のための交渉をすみやかに開始させることである。

 今年5月に開催されたNPT再検討会議準備会合は、「明確な約束」を含む2000年の最終文書を議題にすることを決定した。2010年再検討会議で、核兵器国に「明確な約束」を再確認させるための土俵は、すでに設定されている。問題は、さらに進んで、「法的な枠組み」(=核兵器全面禁止・廃絶条約)にむけての具体的な一歩を踏み出させることなのだ。

 こうした前進をかち取る上で重要なことは、いまこそ「核抑止力」論をはじめ、核兵器を安全保障の手段と見なす誤りに、きっぱりと終止符を打たせることである。オバマ大統領のプラハ演説の限界もまたこの点にあることは、すでに見たとおりである。

 そもそもオバマ演説の直接の呼び水となったのは、2007年と2008年の1月に提起されたヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツら米国政府元高官4氏による「核兵器のない世界」への2度にわたる呼びかけであった。この呼びかけで、キッシンジャー氏らは、「核兵器がますます広範囲に入手可能となるなかで、抑止力の有効性はますます低下する一方で危険性は増加している」と述べていた。これは米国の核政策の中枢にあった人々の間に「核抑止力」の有効性への懐疑がひろく存在することを示している。彼らは、「核拡散」や「核テロ」と対抗するには、「核抑止力」はもはや有効ではなく、むしろ核兵器廃絶こそが有効なオルタナティブなのだと、あくまでも冷静な政治的判断として、主張しているのだ。

 こうした議論をもまた踏まえ、いまこそ「核抑止力」―核兵器による「拡大抑止」としての「核の傘」も含めて―に平和と安全を依存するという誤謬の息の根を止めなければならない。それに際しては、米国の忠実な同盟国として「核の傘」(核兵器による「拡大抑止」)に依存しつづけてきたばかりでなく、オバマ大統領のプラハ演説後も、北朝鮮や中国の「核の脅威」を口実に「核の傘」の提供を執拗に求めつづけ、「核態勢の見直し(NPR)」の更新作業にさえ介入してきたといわれる日本政府のあり方も大いに問題とされなければなるまい。自民党から民主党への政権交代が、この点に関わって、何をもたらすか注視しつつ、唯一の被爆国の国民として、また「平和的生存権」を謳う前文と「戦争放棄」「戦力放棄」の第9条を含む平和憲法をもつ国民として、日本国民が果たすべき国際的な責務と「道義的責任」をあらためて自覚しなければならないだろう。

 くり返しになるが、オバマ演説に象徴される「変化」は、大局的には、世界諸国民の世論と運動の力がもたらしたのであり、そうであればこそ、この「変化」を核兵器廃絶へと結実させる力もまた、世界諸国民の世論と運動以外にはない。2010年5月のNPT再検討会議を、「破滅的な核の恐怖にさらされた世界から核兵器のない平和で安全な世界へ」の歴史的な転換点とするため、いまこそ地球規模の連帯と行動が求められている。

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冨田起草委員長のNPT講座 第6回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.「テロと拡散」への予防的先制攻撃という危険なブッシュ・ドクトリンが破綻するなかで、それへの唯一有効な対案として、核兵器の廃絶が浮上してきたというわけですね。

A.そうですね。重要なのは、「テロと拡散」の危険への対案は核兵器の廃絶以外ないという立場は、世界大会の「国際会議宣言」がくり返し表明してきたものだということです。キッシンジャー氏ら4氏の呼びかけからオバマ大統領のプラハ演説にいたる新たな流れは、原水爆禁止世界大会のこの間の主張が、いかに先見的で、正しいものだったのかを証明しているわけです。ここに確信をもたなければならないと思います。

 もうひとつ重要なポイントは、キッシンジャー氏らの呼びかけにある「核兵器がますます広範囲に入手可能となるなかで、抑止力の有効性はますます低下する一方で危険性は増大している」というくだりです。核大国の中枢にいた人びとの間に、「核抑止力」の有効性への疑問が広がっているのだとすれば、これはとても重大なことです。

 「核抑止力」論というのは、「核兵器は戦争を抑止するものだ」という理屈で、「平和と安全を核兵器に頼る」という考え方です。これこそが核保有を正当化する主要な口実なんですね。要するに「刃向かえば核攻撃するぞ」と威嚇し、脅迫することで、相手の手を縛る。これが「核抑止」、つまり「核兵器による平和と安全」ということです。

 キッシンジャー氏らが、「テロと拡散」への恐怖をつのらせながら、ますます低下する「核抑止力」の有効性に疑問を表明しているのは、とても重大なポイントです。自らの命を顧みず「自爆攻撃」も辞さない「テロリスト」には、「核攻撃するぞ」という威嚇も、脅迫も通用しないのではないかというわけです。

 「核兵器のない世界」への動きに立ちはだかる障害のひとつはこの「核抑止力」論です。こうして「核抑止力」への疑問が広がっているとすれば、いまこそ、その息の根を止める絶好のチャンスなのではないでしょうか。

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2009年9月10日 (木)

冨田起草委員長のNPT講座 第5回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.キッシンジャー氏らの呼びかけからオバマ大統領の演説まで、「核兵器のない世界」を求める「新しい流れ」を、どう評価したらいいのでしょう?

A.核兵器が拡散したあげくテロリストの手に渡るぐらいなら、核兵器をなくしたほうがましだと核政策の中枢にいた人びとの多くが現実主義的な政治判断をするに至り、オバマ大統領のプラハ演説もこうした流れの延長上にあるのだと言いました。

 それは要するに、「テロや拡散」の危険に対しては、核兵器の廃絶というオルタナティブ(対案)しかないことを、彼らもついに認めざるをえなくなったのだということです。

 それはまず何よりも、「テロと拡散」に対しては、核兵器の使用も含む予防的先制攻撃で対抗するという危険なブッシュ・ドクトリンからの決別を意味するわけです。

 9.11同時多発テロに対して、「テロとの戦争」を宣言したブッシュ大統領は、このブッシュ・ドクトリンにしたがって、アフガン戦争からイラク戦争へと戦火を拡大していきました。「テロや拡散」への危険があると見なせば、その危険がまだ芽のうちに、つまり予防的に、先制攻撃で叩きつぶす。しかも、そこでは核兵器の先制使用も辞さない。それは危険極まりない政策です。ブッシュ政権はこうした先制攻撃のための新型核兵器の開発すら進めていたのです。

 アフガン戦争とイラク戦争の泥沼化、とりわけ「テロとの戦争」が、むしろテロをますます増大させ激化させてきただけであることは、もはや誰の目にも明らかですよね。ブッシュ・ドクトリンの破綻は、もはや疑う余地のないものとなったのです。

 ブッシュ・ドクトリンやイラク戦争が危険きわまりない誤りであることは、イラク反戦に立ち上がったヨーロッパをはじめとする世界諸国民の巨大な反戦平和運動が一貫して厳しく批判してきたものです。キッシンジャーら4氏にしても、オバマ大統領にしても、こうした反戦平和運動の批判に耳を傾けざるを得なくなったということなのでしょう

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