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2005年6月23日 (木)

沖縄戦の記憶

 今日は、沖縄戦が終結した(とされる)日から60周年にあたります。沖縄戦とはなんだったのか?沖縄戦の記憶というサイトは、

沖縄戦は人類の戦争の中でもありとあらゆる要素を内包した最も醜悪な戦争でした。生き残ることが「偶然」に委ねられていただけでなく、死ぬことは必然となり、その死に方は「戦争」による死に方だけではなかったのです。

こんな言葉から説き起こしています。

 「戦争」が軽々しく語られ、戦争放棄とその保証のための戦力放棄を謳った憲法第9条の改訂が具体的な日程にのぼろうとしている今こそ、沖縄戦の記憶真摯に向き合うことが必要なのではないでしょうか?

 6月23日という日は、沖縄戦終結から15年後には奇しくも、現行「日米安全保障条約」が(「安保闘争」と呼ばれた日本史上空前絶後の大衆行動の嵐の中で)発効した日ともなりました。

 この条約に基づく「日米安全保障体制」のもとで沖縄は、1972年の日本への「復帰」後も、在日米軍基地の重圧に曝され続けています。

 本土防衛の捨石として「人類史上最も醜悪な地上戦」の戦場となり、今度は「日米安全保障体制」の負担を本土に替って担わされ続けている沖縄。今日6月23日は、この二つの沖縄思いを馳せるべき日です。

 しかも「日本人」としてではなく、「うちなー」に対する「やまと」の一員として。とりわけ「日本人としての誇り」なんてことを軽々しく口にする人たちが跋扈する今だからこそ。そして、「日米安全保障体制の障害」として、憲法第9条の改訂が日程にのぼっている今だからこそ。

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コメント

 どの様にして沖縄戦の歴史を語り継ぐかが重要ですね。23日の報道ステーションでは、「新しい教科書を作る会」の沖縄戦に関する記述を読み上げていました。ほんの数行鉄血勤皇隊やひめゆり部隊の戦争協力だけを記述している教科書に寒気を感じました。同時に番組の中で自ら母と弟妹を殺害せざるを得なかった平良牧師の証言を報道していましたが、これこそ語り継ぐべき皇国皇民化の悲劇ではないでしょうか。
 せめて大学ではまともな歴史教育を譲らない良心を期待しています。

投稿: アッテンボロー | 2005年6月24日 (金) 03時58分

アッテンボローさん
コメントありがとうございます。
僕も報道ステーション見ていました。
沖縄の学徒たちの「勇敢な戦争協力」という虚像を描くことが、「日本人の誇り」の再確認となると考える彼らの愚劣さにあらためて怒りと悲しみを憶えました。
沖縄戦には、「うちなー」の人々と私たち「やまと」との関係、さらには、その95%の名前すら判明していないとされる韓国・朝鮮人の犠牲者の問題、日本兵の中のアイヌの人々を含む北海道出身者の問題などなど、「日本人」というものを真剣に見つめなおすべき課題が孕まれているのにです。
沖縄戦の記憶に向き合うことを、単なる慰霊に終わらせないことが、本当に大切だと思います。

投稿: 冨田宏治 | 2005年6月25日 (土) 00時08分

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