« 「姑獲鳥の夏」観てきました!! | トップページ | 被爆60年の長崎で… »

2005年8月 6日 (土)

被爆60年の広島で…

 被爆60年の8月6日。。。今年も例の如く、広島に身をおいている。学生時代からだから、かれこれ28年になるだろうか…。僕は毎年欠かすことなく、8月6日と9日の広島・長崎に身を置いている。多分、これからも…。核兵器廃絶の日まで。。。

 今年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、5年まえの再検討会議における核兵器廃絶への核兵器国の「明確な約束」の履行をせまる場として期待を集めながら、核超大国アメリカの妨害によって、なんらの合意にも至らぬまま決裂した。

 今年の広島は、NPT再検討会議に結集したNGO平和市長会議新アジェンダ連合非同盟諸国に結集する諸政府といった諸運動の担い手たちが、再検討会議を決裂に導いたアメリカへの怒りを表明するとともに、結成60年を迎える国連を舞台に次の一手を打つことを誓い合う場となった。

 それとともに、平均73歳と高齢化する被爆者の被爆体験と核兵器廃絶への思い、そして、被爆の後遺によるこころ・からだ・くらしの困難と闘いつつ、平和の語り部として生き抜いてきた生き様を、若い世代が継承していく決意を新たにする場ともなっていた。

 戦争体験や被爆体験が時の流れの前に風化しつつある中、過去の侵略戦争を美化、「日本人の誇り」を云々、そのくせアメリカ政府の軍事的要求に追随して、憲法9条の改廃を主張する勢力が、若い世代の中にも広がっている。このネットの世界でも、いわゆる「2ちゃん」の場で、こうした議論が横行している。

 日本人の誇りを云々するなら、被爆の苦しみを乗り越え、報復ではなく、世界平和と核兵器廃絶を、いのちを削りながら叫びつづけてきた被爆者の生き様にこそ、日本人の真の誇るべきものなのではないだろうか。。。そして、侵略戦争への反省から、戦争放棄と戦力放棄を誓った憲法を守ってきたことが、こうした被爆者とそれを支える数多くの日本人の願いに、世界の人びとの共感と支持を広げる重要な基盤だったのではなかろうか。。。

 「誇り」を云々しながら、超大国の前には卑屈に跪き、アジア諸国民の加害責任の追求には傲慢な態度で拒絶する、こうした「抑圧委譲」によってしか精神的均衡を得られないような貧しい精神には、被爆者という日本人の、否、人類が真に誇るべき人びとの意義は、理解し得ないのであろうか。。。

 僕は、またこの一年、「極左冨田は死ね!関学を去れ!」と罵倒されようと、核兵器廃絶や憲法9条を守る運動に身を投じ、被爆者の方々に恥じることのないよう、自分なりに頑張るだろう。そしてまた、被爆61年の広島に身を置くだろう

|

« 「姑獲鳥の夏」観てきました!! | トップページ | 被爆60年の長崎で… »

コメント

ゴリッパなご意見ですたい!
ぜひ平壌人民広場や北京天安門で、当地政府にアポなしで反核デモをやってみなんせ!
そしたらば「似非反核運動」は全世界からはじめて信頼されるとです!

投稿: サヨ観測 | 2005年8月 7日 (日) 09時33分

ほらね…
こんな反応が返ってくるわけです。。。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月 7日 (日) 14時10分

日本の「偉大なインテリ成分様」ともあろうお方が、低レベルの「自己陶酔」もほどほどに(ww

大衆に理解されずに、冷や水ぶっ掛けられるとたちまち「暴力的&言論封殺」の挙に出るのは「心のアポジオモニのウリナラ反日民族」と「毎日反日扇動されてる支那畜阿Q民」と全く同じダニ

ハーァ~?「アジア諸国民」「貧しい精神」?
お偉い教授様&革命成分ブサヨク同志の言われる「アジア」とはまず「極東バカ中華思想丸出し3国」限定だろう?
アジアは広いぞ?
反日が「政治目的化」してしまっている「毎日謝罪汁!反日バカ3国」以外に「親日のアジア諸国」は圧倒的に多い。

それに今まで無抵抗そうな日本を嬲り者にして「偏狭的ナショナリズム」を煽って国内問題を解決しようとしている支韓北バカ3国こそ「極めて貧困な精神」じゃないのか?
それに寄生してしか生きられない反日日本人の教授様と同志様は「極貧の精神」かニ?
そんな連中に「貧しい精神」と罵られるとは世も末だな。
しかし、日本の文系大学の教授室は本当に「知の墓場」と化してるとしか言いようが無いよ。

しかし、ここを見ていると
無用な大学を削減する「大学整理」、「反日テロ賛美」とかバカな事を垂れ流している大学教授や集団のいる大学には「助成金」をやらないとか、そういった「教育改革」は絶対必要だな

投稿: サヨ観測 自己陶酔もほどほどに | 2005年8月 8日 (月) 08時11分

なるほど、お察しいたします。
ゆーてるセリフは、聞いててアクビが出るような常套句で、各行末「!」でリキ入れているわりには無意味な内容なんですけど、ちゃんとチェックしてて即反応してくる“けなげさ”は評価してあげてもいいかな、と思いました(ワラ)。
……と昨日読んだときそう思ったけど、調子こいてさらに支離滅裂な追加コメントが。こんなのを相手にせにゃならんのはたいへんですね。いや、マジで同情します。

ということで、関東で罵倒されながらもヒロシマ・ナガサキにこだわって活動している鍋島です。
ここんとこ毎夏の広島・長崎には行けてないんですが、日常的に被爆者と接する機会は多いんで、毎日がヒロシマ・ナガサキみたいなものです。
今年は、ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議の関係で、被爆者の「わたしの訴え」の中間まとめにかかわりました。
http://www15.ocn.ne.jp/~go2/hibaku60icc_w4/open_documents.html
まだ、この「わたしの訴え」はつづきますが、今後、冨田さんのお力もお借りできればと、個人的には思っています。

今年も暑い日が続きますが、おからだ大切に。お互い、やるべきことを果しつづけましょうや。
ではまた。(;^-^ゞ

投稿: 鍋島 | 2005年8月 8日 (月) 09時13分

>>ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議
>>やるべきことを果しつづけましょうや

「原水禁」と「原水協」の統一、分裂から50年たったけど、まだ~なの(ゲラ

投稿: サヨ観測 | 2005年8月 9日 (火) 12時33分

 原水爆禁止世界大会は今年で50年目、不幸な分裂は1963年の出来事です。だから、分裂から50年なんてどこから出てきたの?
 生半可なこといわないようにね。底の浅さが露呈してしまいますよ。。。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月 9日 (火) 16時59分

「セコイ数字上げ」は、バカ便後士とコッパ役人とご同様に御得意分野のようですね(藁
んで、1963年からとしても、どうして「聖なる被爆者」様のご意見なんかそっちのけで、40数年後の今になるまで「支持政党の違い程度で分裂状態」しているのかな?
それをちゃんと無知蒙昧な大衆のオイラに納得いくように「説明」して、スバラシイ反核平和思想を「啓蒙」していただけますかな、偉い学者さん?

投稿: サヨ観測 | 2005年8月 9日 (火) 19時33分

>アジア諸国民の加害責任
とありますが、加害した事実はどこにありますか?
是非。再販された「東條英機宣誓供述調書」でもお読みになってください。その後年、マッカーサーが
上院軍事委員会で証言した内容と符合します。
自虐史観に染まった人間が最高学府の教壇にいるとは・・・。この国は亡国の道をまっしぐらですね。

投稿: 征伐隊長(信濃屋) | 2005年8月12日 (金) 22時40分

南京事件だけとっても
ネット上に、しっかりした資料集があったりします。
たとえば
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
http://www.geocities.jp/yu77799/index.html
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm
などです。
紹介まで…

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月12日 (金) 23時51分

南京虐殺・・・。アジア大学。東中野修道教授の「南京事件『証拠写真』を検証する」でもお読みください。
確たる一次資料のない南京虐殺。その証拠といわれる写真ですら捏造されています。証言・・・それが一番信憑性に欠けていることも事実です。
それを言うなら、現在進行形の中共による「チベット侵略」はどうなのでしょうか?
あなたの提示した「南京事件」に関するリンクは
その反証が総てなされているものですから
侵略の証拠にはなりません。
確たる証拠をご提示ください。

投稿: 征伐隊長(信濃屋) | 2005年8月13日 (土) 14時53分

証言には信憑性がない…ですか。。。
でも東条の証言には信憑性があるのですね…
加害の事実などなかったという確たる証拠はどうなんでしょうね。。。

難しいことを言わなくても、南京も含め日本国外に日本軍が組織的に展開し、組織的に武力行使を行っていたことは事実ですよね。それもまた幻なのだというのでしようね。。。

答えは解っています、自存自衛のためですよね。。。
ところで、侵略とはどういう意味なのでしょうね。。。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 00時03分

ほほう、そう来ましたか・・・。いいぜ冨田サン。
証言というのは裏付けが取れなければ、それは
単なる「詐話」でしかないのです。
http://www.history.gr.jp/index1.html
上記リンクをご覧下さい。まだまだありますが
一遍には見れないでしょうから・・・。
少なくとも「一般民間人」に対する組織的な
加害の事実はありませんね。
日本軍(に限らず軍隊)が、他国に軍隊を派遣するのは当時、何らの問題行動ではありません。
朝鮮(当時日本)を守るための派遣でしたし・・・。
パリ平和条約でも軍隊動員の裁量権は当事国の判断に任されていたわけですから。
それを仰るなら、昭和20年8月15日から昭和2
7年4月28日までの間。日本は事実上の「侵略」を受けていたことになりますね。
沖縄に至っては、昭和47年5月15日まで侵略されていたことになりますが・・・。ご理解いただけますよね。もっと勉強して下さいね。
原爆には憤って、その他のアメリカは怨まない。
やはり自虐史観に凝り固まった先生ですか。
侵略と進出を同一視するところに、問題があるのではありませんか?

投稿: 征伐隊長(信濃屋) | 2005年8月14日 (日) 00時46分

そうですね。。。
事実上の「侵略」ですか…
アメリカによる日本への事実上の「侵略」は、今でも続いているわけですよね。。。
4万にものぼる在日米軍が展開しているわけですから。
もちろん法的には日米安保条約に基づくものですが…
僕自身は在日米軍基地撤去を求めて随分行動してきたつもりですが…
不思議なことに、自虐史観を云々する人たちは、今現在も続く在日米軍の存在には、その基地被害の問題も含めて、なんら「誇り」とやらを傷つけられないようですね。。。
もともとの「記事」では、そのことを問題にしていたわけですが、大いに寄り道をして、ようやくここにたどり着いたわけです。
反中愛国を居丈高に叫ぶのに、なぜ反米愛国にはならないのでしょうね。。。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 01時30分

冨田先生。はじめまして。

「極左」と呼ばれているお方のようですので、少しばかり質問します。
典拠を出さない印象批評に終始することはお許しください。

先日、関学のサイトを見たところ、このような記事がありました。

http://blog.livedoor.jp/tribune2005/archives/25024026.html

私は、野田正彰氏についてまったく無知でしたので、検索してみたら、

http://blog.ofg.jp/?eid=231255

という記事がありました。
さきの大戦における「日本の蛮行」とくらべたら、
中国における一連の反日行動は取るに足りないということですが、
いささか疑問を感じます。
「極左」と言われて恥じないということでしたら
先生は「左翼」ですか?
「左翼」とは、「体制に疑問を持つことから、国を良くする」というものではないでしょうか。
それなら、先生は「日本を愛する」はずですよね。
その場合、同胞が少なからず被害を受けた事件について
むしろ肯定的な立場を取った野田正彰という人が同じ大学にいるということについて、
疑問を持たれませんか?
忌憚なきご意見を伺いたいと思います。
ただし、「ウヨ」とか「2ちゃん」とかいうレッテルはやめてください。
個人的には「日本に住み、日本に守られながら日本を否定する」という立場は取りたくありません。
中国や南北朝鮮の方々が、どれだけ「反日」を叫ぼうと、
自分が日本人であることは変えられませんので。
むしろそのような歴史を否定せず、すべてを背負って日本人たることが必要ではないかとも考える次第です。

投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 01時32分

ついでながら、
「征伐大将」氏とのやりとりについても一言。

中国は国家レベルで日本の国益を犯しているようですが(最近ではガス田問題)、
アメリカは現在、国家としてどのように日本の国益を犯しているのでしょうか。
沖縄米軍における兵士の犯罪とは別レベルですよ。
徳川家康が、自分の息子を殺されながら信長についたのと同じでは?
私とて、原爆や大阪空襲に対して憤っております。
ただ、それでアメリカと手を切ったら、
ただでさえ、憲法九条の束縛でまともに国を守れない日本がどうなるかわかりません。
それは同時に、自分や、自分の愛する家族を失うことにもつながりかねません。
それゆえに、我慢するというのは、いけないことなのでしょうか。

投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 02時00分

 僕は「ウヨ」とか「サヨ」とかレッテル貼りは好きではありません。もちろん僕に対する「極左」というレッテル貼りも…
 野田氏とは面識もありませんし、彼がどのような発言をしたかも知りません。
 僕自身は、報復を正当化する立場には立ちません。日本の侵略に対してにせよ、広島・長崎への原爆使用に対してにせよ、9.11テロに対してにせよ、相手の加害行為に対して、報復せよという論理を乗り越えていくことが必要だと考えるからです。
 そのためには、自らの加害の責任を真摯に見つめ、再び過ちを繰り返さないという意志を示すことが必要だと思っています。
 僕が日本を愛するかという点ですが、日本国民が愛すべき存在になればいいと思っているとお答えしておきましょう。そのような意味では、ナショナリストであると思います。
 しかし、日本国家に対しては、そこに権力が伴う限り、常に否定的なスタンスを取り続けることでしょう。
 野田氏が関学にいることに疑問があるかということですが、あれこれの政治的・学問的・思想的立場を理由に大学を去るべきだとか、そんなことを問題にすること自体が問題だと思います。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 02時15分

ご返信ありがとうございます。
なお、私は野田氏に対して「大学を去るべし」とは申しておりません。
野田氏の発言が、あるいは大学の公的行事でなされたものではないか、と思ったために疑念を持った次第です。
そのあたり、誤解なされぬようにお願い申し上げます。
あと、私は国文学の人間でしたので、社会科学的な分野にはまったく弱いのですが、
先生の仰る

「日本国家に対しては、そこに権力が伴う限り、常に否定的なスタンスを取り続けることでしょう。」

というくだりがまるで理解できませんでした。
そのあたり、もう少し詳細に伺いたいと考えます。

よろしくお願い申し上げます。

投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 02時29分

いささか言葉足らずでしたので、訂正します。
野田氏の発言への疑問ですが、
私は、「学問の自由」を否定するつもりはありません。
おそらく先生も、ご自身の発言を制限されるような状況がありましたら、憤慨されることでしょう。
ただ、野田氏の発言は、あまりにも中国擁護に偏りすぎていたように思われます。
そして中国は、基本的に言論の自由がない国であるように感ぜられます。
これは私が、職業として多くの中国人と接してきたことから得た感覚でもありますが、そこから
「言論の自由」がないということは、「学問の自由がない」ということにもつながるのではないか、
それなら多少なりとも批判があってしかるべきなのに、なぜそれが(管見の範囲ですが)見あたらないのか、
という疑問が生まれた次第です。
私の感覚が単なる管見に過ぎないということでしたら、
批判を受けることにやぶさかではありませんので、
以上の点についてご教示いただければ幸甚に存じます。

投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 02時40分

 国家(state)と国民(nation)というヨーロッパでは明確に区別され、原理的な対立関係にある存在を「くに」という言葉で包括的に捉えてしまうことに、日本で政治を語る難しさがあります。くわしくは、僕の講義レジュメhttp://homepage3.nifty.com/k_tomida/seiji.htm
をご覧下さい。
 愛国といいますが、それは国家に対する愛でしょうか、国民に対する愛でしょうか?そして、それは常に両立するものなのでしょうか?
 国益についてもそうですね。それは国家の利益でしょうか?国民の利益でしょうか?

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 02時44分

早速のご返信ありがとうございました。
ところで、先生はヨーロッパにおける定義を日本に適用しておられますが、
そのあたりの術語設定については妥当なのでありましょうか。
日本が欧米のシステムを模倣して近代化したということは否定できますまいが、
日本における「くに」意識がなぜ形成されたのかというところ、
そしてその必然性というところにも目を向けられてはいかがでしょうか。
先生がどう思われるかはわかりませんが、私は「国家」と「国民」とを峻別できません。
そして自分の居場所を否定する気にもなれません。

あと、先生も学者である以上おわかりではありましょうが、
私は先生の記述に疑問を抱いて色々と質問しました。
ただ、すべての疑問に答えてはくれていませんね。
そして「質問に質問で返す」という手法を取っておられます。
私は無知な素人ではありますが、
学会などにおいて、先生はおそらくそのような手法は取られますまい。
「聞かれたことに答えない」という点で、一番やってはならない手法ですからね。
わからないなら「わからない」と仰ってくださればよいのに。
それとも、社会科学では、それは常套手段なのですか?

投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 03時00分

返信が追いつきませんね(笑
 野田氏がそうだとはいいませんが、中国や韓国・北朝鮮への加害責任を重く受け止める人びとの中に、その「負い目」からか、中国や韓国・北朝鮮の「国家」に対して無批判に追随する人びとがいることは否定できません。
 中国や北朝鮮(そして朴政権や全政権下の韓国)の「国家」に独裁や人権抑圧という重大な問題が存在することは、決して忘れるべきではないと思います。
 ただ、中国「国家」や北朝鮮「国家」の独裁や人権抑圧が、過去の日本「国家」の戦争責任の免罪符にはならないということです。
 加害責任を重視するがゆえに中国や北朝鮮の「国家」の圧政を免罪することも、中国や北朝鮮の「国家」の圧政を理由に過去の日本「国家」の加害責任を免罪することも、どちらも正しくないと、僕は思います。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 03時04分

国益のことですね。。。
 首都圏を横田、横須賀。座間、厚木などの在日米軍基地に包囲されていては、日本は軍事的・外交的にアメリカに従属せざるをえませんね。在日米軍はいつでも日本に対しても用いうる軍事力なのではないでしょうか。
 その状況下で、日本の「国益」を追求することは可能でしょうか。
 経済的にも、食糧とエネルギーの自給率の絶望的な低さは、世界最大の穀物輸出国であり、石油を戦略資源として掌握してきたアメリカの「国益」への屈服と従属の結果なのではないでしょうか。
 答えになっていないとお叱りを受けそうですが。。。

 日本における「くに」の意識の形成という問題については、僕が専攻している日本政治思想史の最大の問題のひとつですね。僕の講義レジュメ「日本政治社会史」
http://homepage3.nifty.com/k_tomida/syakaisi.htm
は不十分ながらもこの問題に取り組んだものだと思っています。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 03時24分

>首都圏を横田、横須賀。座間、厚木などの在日米軍基地に包囲されていては、日本は軍事的・外交的にアメリカに従属せざるをえませんね。在日米軍はいつでも日本に対しても用いうる軍事力なのではないでしょうか。

私はアメリカが日本を守っていると解してきたのですが、それは誤っているのでしょうか。
台湾関連で米軍が中国軍に対峙するのと、日本に米軍がいるのとでは、かなり質が異なるように素人目には思われますがね。
あと、今のくだりと

>その状況下で、日本の「国益」を追求することは可能でしょうか。
 経済的にも、食糧とエネルギーの自給率の絶望的な低さは、世界最大の穀物輸出国であり、石油を戦略資源として掌握してきたアメリカの「国益」への屈服と従属の結果なのではないでしょうか。

とのつながりが、無学な私にはわかりません。
「日本を軍事力で脅すことで、アメリカからものを買わせている」と仰ることでしたら、
いささか単純過ぎるのでは。

それと、先生との一連のやりとりで疑問に思ったのは、
「国家」と「国民」とをめぐる私の質問に対して、
なぜ、さきにヨーロッパを出して、私が再度尋ねてからご自身のレジュメをあらためて出したか
ということです。

私など、論外ということでしたらそれはそれでかまいませんが、
私とて、学者の方にお尋ねしている以上は、
すぐに回答を求めようとは思いませんので、
じっくりと論証していただければよかったのですよ。
そのあたり、ご理解くだされればと思います。


投稿: 関学OB | 2005年8月14日 (日) 10時30分

 在日米軍の駐留目的は、安保条約の6条によれば、日本のだけではなく、極東の安全の維持ですし、96年の日米安保共同宣言に従えば、アジア・太平洋の安全保障ですね。日本を守るためにいるというより、極東さらにはアジア・太平洋における軍事的プレゼンスの確保が目的だということです。
 軍事的プレゼンスの確保による平和の維持というのは、強大な軍事力による戦争の抑止ということですが、それは言い換えれば軍事力による威嚇と脅迫ということです。
 問題は、アメリカの軍事力の威嚇と脅迫による「平和」というものを、どう考えるかということでしょうね。なぜ、アメリカにそのような威嚇や脅迫が特権的に許されるのでしょうか。
 さて、台湾海峡ですが、もし不幸にもそこで戦端が開かれたとすると、アメリカは軍事介入をすることになるでしょう。この介入がいかなる理由で正当化されるのかという問題はありますが…
 その場合、日本は97年の日米防衛協力の指針(新ガイドライン)に従って、米軍の兵站(logistics)を担うことになります。兵站は明白な軍事行動ですから、日本はこの時点で対中国戦争に参戦することになります。さて、それは日本の「国益」に合致するでしょうか。
 僕は、日本の国益は、EUやAUに対応する東アジア共同体(EAU)といった東アジアにおける国際紛争の平和的解決と集団的安全保障のスキームをつくり上げていくことにあると考えていますが、ASEAN諸国や韓国・中国、さらにはオーストラリアなども含めて推進されようとしているこうした努力に、日米同盟とアメリカの軍事的プレゼンスが大きな障害となると考えています。

 それから、在日米軍の軍事力が対米従属的な日米関係を最終的に担保しているということを言いたかっただけですが、食糧とエネルギーの自給率の絶望的な低さという経済的安全保障上の重大の問題が、「国益」を犠牲にした対米従属的関係によってもたらされたことは、否定できないことだと思います。
それは、同時に日本の農業の崩壊とBSE問題に現れた食の安全の問題に繋がっていますし、化石燃料に代替するエネルギーの自主的な開発の遅れにも繋がっています。

投稿: 冨田宏治 | 2005年8月14日 (日) 18時12分

◆冨田先生、こんにちは。約10年ぶりになります。私は誰でしょう?! さておき、ブログなんかはじめちゃって、大変ですね(^^;
◆まさしく「訊かれたことには答えなアカン」ことになっちゃいますから…。
◆書くことのメリットもあるでしょうが、場合によっては『あのさぁ~、別にいいんだけどさぁ…最低限の勉強は自力でそれなりにやってさぁ、…んでから、分かんないトコがあるんなら質問しろよぉ~!」ぐらいのことは書いてもよろしいのでは…?
◆あまりにもあまりにも…な問いにレスをつけるのは、時間のムダ――ひいては税金=私学助成(笑)の無駄遣いとなりかねず、すなわち“国益”(!)を損ないかねません。『“国益”を尊重する立場から、レスを割愛させていただきます』とやれば、愛国者諸氏も納得することでしょう。(^_^;

投稿: 名もなき生涯一被災者@とある震災被災地 | 2005年9月29日 (木) 14時03分

名もなき…さん、励ましありがとう。
最近記事を書くのをサボってますが、励ましに応えて(?)、また何か書いていこうかと思います。
確かにブログは、発信しっ放しのHPと違って大変ですね。
「国益」を損ねない程度に頑張ります(笑

投稿: 冨田宏治 | 2005年9月29日 (木) 16時54分

 こんにちは。
正義について
① 正義=強者の権利
② 正義=強者、弱者を含む関連する当事者「すべて」の利益
いずれが正義であるか?
非力ながらも問題提起してみました。

投稿: 限界ハゲ | 2005年10月 4日 (火) 16時25分

①実際には強者の勝利と強者による支配が不可避であり、必然であるのだとすれば、そこには正義(justice)は存在しないのであり、だからこそいかにして正義は実現されるべきかが問われなければならない。
 これが、プラトン以来の政治(哲)学の問いですね。
 「強者の権利(right=正しいこと=正義)」などあり得ないということこそが、あらゆる政治(哲)学的問いの大前提です。
②正義(justice)も権利(right)も人々の利益(interest)の総和とは一致しない。つまり正義としての一般意志(volonte generale)と人々の特殊利益の総和としての全体意思(volonte de tous)とが一致しないことは、ルソーの論じている通りであり、民主主義論の重大なアポリアです。
③つまり、どちらでもない。ということです。

投稿: 冨田宏治 | 2005年10月 4日 (火) 17時19分

 ありがとうございました。正義と利益の関係については、私自身が学生の頃から悩んでいた問題で、冨田先生のご教示を導きの糸として今後も自分なりに考え続けていこうと思います。

投稿: 限界ハゲ | 2005年10月 4日 (火) 18時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 被爆60年の広島で…:

« 「姑獲鳥の夏」観てきました!! | トップページ | 被爆60年の長崎で… »