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2006年3月 5日 (日)

「男たちの大和」と「戦争セミナー」

 4年間アメフトに打ち込んできた1人の学生君が卒業目前にして、映画「男たちの大和/YAMATO」を観て大きな衝撃を受け、大学卒業までに何としても自分と同世代の若者たちが戦争の事実を受け継いでいくための場をつくりたいと、彼に共鳴した仲間たちとともに「戦争セミナー:戦争体験者から受け継ぐべきこととは」(3月4日関西学院大学)いうイベントを作り上げた。

 わずか1月あまりの準備期間しかなかったにも関わらず、当日は300人ほどの学生たち(とりわけアメフト部をはじめとする体育会の学生君たち)と20人ほどの戦争(戦場)体験者の方々の参加で、映画「男たちの大和/YAMATO」佐藤純彌監督の講演に耳を傾け、学生と戦争(戦場)体験者が小グループに分かれて、膝を交えて戦場体験を語っていただくという貴重な場を作り出すことに成功した。それは、多くのメディアにも取り上げられることともなった。

 映画「男たちの大和/YAMATO」と聞くと、反町隆史や中村獅堂らイケメン俳優を配し、長渕剛の主題歌に載せて、大日本帝国海軍の超弩級戦艦「大和」の最期をカッコ好く、また哀愁をこめ、美化して描いた映画のようにも思えるのだけれど、自ら東京大空襲の体験者でもある佐藤純彌監督の描きたかったものも、またそれを観た若い人々が受けとめたものも、必ずしも戦争に挑んだ男たち生き様や死に様のカッコ好さとか祖国のために生命を捧げた男たちの尊さとか、そういったもの(少なくともそういったものばかり)ではなかったようだ。

 戦艦「大和」が3300人もの乗組員とともに「特攻」へと出撃し、撃沈されたという「事実」そのものは、それを「悲劇」としていかに美しく、哀愁を込めて描き出そうとも、「戦争とは何なのか?」ということを、その愚かしさや悲惨さを含めて、感じさせ考えさせる圧倒的な何ものかをもっているというべきなのだろう。

 戦争というものの「現実」の姿、そこで繰りひろげられる人間の死と生の「事実」は、ナショナルな感情へと必ずしも容易く回収しつくすことのできない何ものかをもっている。そして、それを受けとめることのできる、ある意味で「健全」な能力は、この「戦争セミナー:戦争体験者から受け継ぐべきこととは」に取り組んだ学生君たちに見られるように、まだまだ決して失われてはいないのだと思う。それをあらためて確認させてくれた学生君たちに感謝したいと心から思う。

 「戦争の事実を知りたい」のだと「戦争セミナー:戦争体験者から受け継ぐべきこととは」に取り組んだ学生君たちは言う。もちろん「事実」なんて言っても、「何が事実なのか」は、そんなに簡単な問題ではない。そんなことは解っているが、逆にそんなに難しく考える必要もない。彼らは体験者の生の話を聞きたがっているだけなのだ。戦争と戦場を実際に体験し、そこで「殺し、殺される」という体験を生きた人々の生の声を聞きたがっているだけなのだ。そこから考え始めたがっているだけなのだ

 戦後60年という時間の経過こそが、問題を困難にしているといってよい。体験者の生の話を聞く機会は、体験者の高齢化によって、ますます困難となろうとしている。しかし、自分の体験を語り残したいとの思いをあらためて強くしている体験者が数多くいることもまた確かだろう。

 いま為されなければならないことは何なのか?「戦争セミナー:戦争体験者から受け継ぐべきこととは」に取り組んだ学生君たちに、多くのことをあらためて教えられたように思う。

 

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コメント

「戦争体験を語り継ぐ」
60年使い古された陳腐なフレーズに耳が腐れそうですね。
戦争が悲惨で、酷い苦痛な事だ何て少しは歴史を齧れば判るんだけども、それでも戦争・内戦は起こるし、こちらが望んで無くても、相手から有無を言わずに「仕掛けられる」事は当たり前だったし。
あなた方、何処かの独裁国みたいな「学習集会」を開いて狙う、これ等の勢力の目的はきっと
「反日歴史問題で飯を食おう!」
というこれなんでしょうね

8月15日を目標に国提訴へ 東京大空襲の遺族ら
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1141473751/

読んで呆れました。
当時の国際戦時法規完全無視で民間人居住地を「無差別爆撃」し、かつ「中立条約」を完全無視した上に、降伏後も戦闘を継続、ついでに捕虜を長期・劣悪な環境で強制労働させたはの米国と旧ソ連ロシア。
なのに何故か「日本政府」を相手に「訴訟」を起こし、なおかつ年金生活者の癖に更に国から「金」をタカろうとする一部の「戦災被害者の精神構造」に我々のような一般戦後世代は唖然とするばかりですよ。

「戦争セミナー」なるもの、特定アジア(特亜)の国々で「巡業」したら如何ですか。
もはや湿気た反応しか起こらない小日本よりも、「反日国是」のこれらの国々で「熱烈歓迎」される事でしょう。

投稿: | 2006年3月 5日 (日) 23時51分

 このブログに僕が何かを書く度に、入れ替わり立ち代りやってきては書き付けられる、そのくせ内容的にはいつもいつも変り映えのしないコメントに表わされるような空虚なナショナリズムの言説…こうした言説は「戦争(戦場)体験者の生の声」の前では、その空虚さをますます顕わにせざるを得ないことでしょう。
 戦争のそして戦場の現実は、きっとどんな「イデオロギー」によっても、どんな「神話」によっても、美化することのできないものをもっているからでしょう。
 僕たちは、あくまでもそこに立ち戻って考え始めなければならないのだと思います。戦争を批判し平和を語る僕らの言説が、同様な空虚さを顕さないようにするためにも。。。
 
 

投稿: 冨田宏治 | 2006年3月 6日 (月) 02時03分

ちなみに、「戦争セミナー」に参加された「ようだい」さんという方(40代の男性)のブログ
http://treziland.seesaa.net/article/14260822.html
に、「戦争セミナー」についてのかなり長大な感想と意見が掲載されています。ご参考までに。。。

投稿: 冨田宏治 | 2006年3月 6日 (月) 02時36分

富田先生お久しぶりです。京都の松本です。「男たちのYAMATO」はまだ見てないのですが、かなり評価が分かれているみたいですね。ぜひ見てみたいです。
 さて、植民地文学を研究している私にとって、かなり重要なのは「戦争の記憶」をなぜ、今語る必要があるのかについてです。そしてこの問題は私だけの問題ではもちろんありません。戦後60年が経過し、改憲が叫ばれ、侵略戦争の事実を隠蔽しようとしている連中が跋扈している状況の下でこの問題はより鋭く問われなくてはならないはずです。
 私が、植民地について研究をするとき、もっとも大きなレベルでの問題意識は次のようなものです。日本やドイツなどのために60年以上前に苦しんだり、殺戮されたりした人たち自身の経験や、こうした経験を無数に生んだ私たちの社会的経験は、戦後どのように活かされてきたのか。
 戦後日本で、あの戦争に深く関わった指導者が
 相変わらず権力の座についていることを許し続けてきたのは植民地住民たちの苦しみの経験が生かされていないのはもちろん、日本本土の人々の苦しみにも向き合っていないことなのでないのか?
 やっとのことで戦争の苦しみを語る体験者も、自分たちの経験を通じて、次世代にはもっと賢明な選択に基づいてよりよい社会をつくってほしいという思いなのでしょう。
 こうした経験を語り継ぐことを馬鹿にし続ける人は、「反日教育」だとかなんとかいいますが、全く苦い経験を踏まえられないんですね。そして、忘れてはいけないのは先の大戦で植民地住民はもちろん、日本本土の人も塗炭の苦しみを味わいました。時々このブログとかで「反日教育」とか書き込んでいる人が、もしご自分が「愛国者」だと思っておられるならば、先の戦争を賛美したりすることが自国民の苦しみを分かち合うこともできていないことを示していることを自覚されておられるんでしょうか?
 

投稿: 松本教夫 | 2006年3月 6日 (月) 16時46分

このブログを僕が何か見る度に、垂れ流し状態で書き付けられる、そのくせ内容的にはいつもいつも変り映えのしない「反戦平和と母国自虐」のコメントに表わされるような空虚なサヨクリベラリズムの言説…こうした言説は「現実の国際情勢」の前では、その空虚さをますます顕わにせざるを得ないことでしょう。
 厳しい国際社会のそして外交安全保障の現実は、きっとどんな「陳腐な反戦思想」によっても、どんな「捏造歪曲」によっても、打破することのできないものをもっているからでしょう。
 僕たちは、あくまでも厳しい現実世界に立ち戻って考え始めなければならないのだと思います。60年1日という日本サヨクの体質を批判し、現実の国際社会のリアルポリティークを語る僕らの言説が、同様な空虚と陳腐さを顕さないようにするためにも

投稿: | 2006年3月 6日 (月) 19時15分

「九条を守るために立ち上がる」、愉快な「特亜」の同志たち
( `ハ´)<`∀´ >
アジアのNGO、「9条世界会議」を提案
http://www.asahi.com/national/update/0305/TKY200603050205.html

>>平和構築に取り組むNGO(非政府組織)が北朝鮮・金剛山で開催していた「武力紛争防止のためのグローバル・パートナーシップ」(GPPAC)の東北アジア地域協議は5日、会場をソウルに移し、今後5年間の行動計画などを採択した。

史上最悪の犯罪独裁国家・北朝鮮の金剛山で、「9条世界会議」開催(ww
ブラックジョークのような「会議」ですね。
先日のあつかましい内政干渉丸出しのノームーヒョン酋長の「日本の改憲は絶対に許さないニダ!」発言と言い・・・アホでも「国際的に日本を弱体化させよう」という、こいつらの『明け透けの思惑』がわかりますよ・・・。
まあ、頑張って「特亜」の人たちと「世界に輝く平和憲法九条教」を「日本以外の地域で」布教してくださいね。

投稿: | 2006年3月 6日 (月) 19時32分

 自分の好悪感に寄りかかった「リアルポリティーク」とやらの「リアリティ」と、戦場での生と死の体験についての語りのリアリティと、どちらのリアリティを大事にするかという問題ですね。。。答えは明らかでしょう。
 

投稿: 冨田宏治 | 2006年3月 6日 (月) 23時13分

自分は体験もしていないし、理解する気も無いのに、「自称・被害者・弱者様」という似非イタコたちをかき集めて、この手の「太古体験」をダシに、偉そうに持論を語る方々「モノを語る」方々…この手の「口寄せ大会」は恐山にでも行ってやってください。
化石の談を借りてモノを語るぐらいだったら、いっそご自分で現代の「戦場体験」なされて、その上で「持論」をぶってはいかがですか?
現在、世界中の紛争地で「兵士&傭兵」は随時募集中ですよ。

投稿: | 2006年3月 7日 (火) 08時09分

 現実とか『リアル』とか俗耳に入りやすい言葉を連ねて暴力を賛美するのは如何なものか?少なくとも大人が書く文章とは言いかねる。

投稿: 限界ハゲ | 2006年3月 9日 (木) 00時56分

>>限界ハゲ氏
>>現実とか『リアル』とか俗耳に入りやすい言葉を連ねて暴力を賛美

はて、私がいつ積極的に「暴力を賛美」しましたか?
理由も無く他国に平然と「暴力」を振るってくる、ならず者連中から最低限の「自衛」に近いことは言いましたが。

どうやら、この方は最近の自衛隊の容認、改憲支持派の増加の世論を見聞きして、
「軍靴の足音が聞こえる!」
「日本は軍国主義への道を進んでいる!」
とかの「幻聴幻覚」が見えてしまう「心のご病気」の持ち主のようですね。
他人の文書を大人気ないとか、とやかく言う前にまずご自分が心療内科にもかかる事をお勧めします。

投稿: | 2006年3月 9日 (木) 08時30分

冨田さん、大変、ご無沙汰しております。広島のささきです。いろいろな考え方(イデロギー)の方がおられますが、奮闘されておられることを、心強く思っています。言葉で、平和をかたりつずけることを、私も、身近なところから、実践しています。最近は、「日本の青空」(映画)に、考えさせられました。鈴木安蔵先生の孫弟子として、できることをやっていくつもりです。

投稿: ささき | 2007年6月19日 (火) 20時27分

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