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2009年10月 7日 (水)

2010年NPT再検討会議にむけた課題と核兵器廃絶の展望

憲法改悪阻止愛知県各界連絡会議(愛知憲法会議)の機関誌『愛知憲法通信』からの依頼で、以下のような文章を寄稿をしました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

 私が原水爆禁止運動に出会ったのは名古屋大学法学部に入学した1978年。焼けつくような日射しのなか、汗まみれになりながら名大周辺を一軒々々訪ね歩き、核兵器廃絶の署名と募金を集めてまわったものだった。それから30余年、私は毎年欠かすことなく8月6日の広島、9日の長崎に身を置き、原水爆禁止世界大会に参加することとなった。いつのまにか安齋育郎先生のお手伝いで世界大会諸決議の起草作業に関わるようになり、この数年は安齋先生に代わって起草委員長を務めることとなった。徹夜々々の連続になる起草作業だが、それがどんなに過酷であろうと、いまさら辞めようとは思わない。大学1年の時の沢田昭二先生(被爆者、物理学者、日本原水協代表理事)との出会いにはじまる、30余年にわたる数多くの被爆者の方々との出会いと別れがあるからであり、「ふたたび被爆者をつくるな」「広島・長崎をくりかえすな」「核兵器なくせ」という被爆者の悲願に応えねばならぬという思いに、私自身が強く囚われているからである。

 被爆者は「報復」を望まなかった。自らの経験した想像を絶する悲惨と残虐を世界の何処にも誰の上にもくり返すなと願い、「自らの経験をとおして人類の危機を救おう」と決意したのだ。この悲願と決意の崇高さを心に刻みたい。「被爆者とともに」―これこそが、いかなる情勢の展開のもとにあっても揺らぐことのない、原水爆禁止運動と原水爆禁止世界大会の不動の原点なのである。

 今年4月のバラク・オバマ大統領のプラハ演説は、被爆者の悲願である核兵器廃絶の実現に新たな展望を切り拓いた。新たな希望の光が射したといってもよかろう。「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」として、「米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念をもって明言」するとしたこの演説は、世界最大の核兵器国が「核兵器のない世界」を国家目標(主語がオバマ個人ではなく米国であることに注目せよ!!)とすることを宣言したという意味で、まさに画期的なものである。その意義はどれだけ強調しても強調しすぎることはあるまい。

 もっともこの演説でオバマ大統領が、この目標が自分の「生きているうちには達成されないでしょう」としていることや、なによりも「核兵器が存在する限り、わが国はいかなる敵であろうとこれを抑止し」、「同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します」とつけ加えていることをもって、その限界を指摘することは可能だし、重要でもある。世界大会国際会議の「宣言」を起草する国際起草委員会でもこうした点の評価をめぐって熱い激論が交わされたことも事実である。

 しかし確信すべきことは、こうした限界はあるにしても、大局的には、オバマ演説が象徴する「変化Change」そのものは、世界諸国民の世論と運動の力がもたらしたのだということ、そうであればこそ、この限界を乗り越え、「変化」を核兵器廃絶の実現へと前進させる力もまた、世界諸国民の世論と運動以外にはないということであろう。

 モンゴメリー・バス・ボイコットに始まり、マルティン・ルーサー・キング牧師らが率いた黒人公民権運動なしに、オバマ大統領の登場はあり得ただろうか?イラク開戦時に欧米諸国でくり広げられたイラク反戦デモの数百万の隊列なしに、今日の事態はあり得ただろうか?さらには、被爆者の「核兵器なくせ」の声と「被爆者とともに」歩んできた原水爆禁止運動がなかったとしたらどうであろう?今年の世界大会は、先に述べた激論に始まり、世界の反核平和運動の代表たちがこうした確信を深め共有していく場となっていった。

 いずれにせよ、オバマ大統領による「核兵器のない世界」の提唱は、来年5月に迫った核不拡散(NPT)再検討会議を核兵器廃絶の実現への絶好のチャンスへと押し上げた。そこでの課題は鮮明であり、廃絶2000や国際平和ビューロー(IPB)をはじめとする世界の反核平和運動(NGO)も、新アジェンダ連合や非同盟諸国といった核兵器廃絶を追求する諸政府(GO)も、そして世界大会に2年連続で参加された国連軍縮担当上級代表のドゥアルテ氏も、ほとんど完全に一致しているといってよい。

 それは前々回2000年のNPT再検討会議の「最終文書」において確認された「第6条のもとですべての締約国が責任を負う核軍縮につながる、自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」(いわゆる「明確な約束」)を米国はじめすべての核兵器国に再確認させるとともに、この約束の誠実な履行のための具体的措置をとらせることである。

 今年の「国際会議宣言」が述べているように、「核兵器のない世界は、その実現そのものを共通の目標とし、法的な枠組みに合意し、誠実に実行してこそ達成できる」。「明確な約束」という政治的合意を再確認すると同時に、これを実現する具体的措置としては、そのための「法的な枠組み」を形成しなければならない。この「法的な枠組み」こそ、核兵器全面禁止・廃絶条約―核兵器(禁止)条約であろうと、包括的核兵器禁止条約であろうと、その名称にこだわる必要はない―にほかならないのであり、いま求められていることは、その締結のための交渉をすみやかに開始させることである。

 今年5月に開催されたNPT再検討会議準備会合は、「明確な約束」を含む2000年の最終文書を議題にすることを決定した。2010年再検討会議で、核兵器国に「明確な約束」を再確認させるための土俵は、すでに設定されている。問題は、さらに進んで、「法的な枠組み」(=核兵器全面禁止・廃絶条約)にむけての具体的な一歩を踏み出させることなのだ。

 こうした前進をかち取る上で重要なことは、いまこそ「核抑止力」論をはじめ、核兵器を安全保障の手段と見なす誤りに、きっぱりと終止符を打たせることである。オバマ大統領のプラハ演説の限界もまたこの点にあることは、すでに見たとおりである。

 そもそもオバマ演説の直接の呼び水となったのは、2007年と2008年の1月に提起されたヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツら米国政府元高官4氏による「核兵器のない世界」への2度にわたる呼びかけであった。この呼びかけで、キッシンジャー氏らは、「核兵器がますます広範囲に入手可能となるなかで、抑止力の有効性はますます低下する一方で危険性は増加している」と述べていた。これは米国の核政策の中枢にあった人々の間に「核抑止力」の有効性への懐疑がひろく存在することを示している。彼らは、「核拡散」や「核テロ」と対抗するには、「核抑止力」はもはや有効ではなく、むしろ核兵器廃絶こそが有効なオルタナティブなのだと、あくまでも冷静な政治的判断として、主張しているのだ。

 こうした議論をもまた踏まえ、いまこそ「核抑止力」―核兵器による「拡大抑止」としての「核の傘」も含めて―に平和と安全を依存するという誤謬の息の根を止めなければならない。それに際しては、米国の忠実な同盟国として「核の傘」(核兵器による「拡大抑止」)に依存しつづけてきたばかりでなく、オバマ大統領のプラハ演説後も、北朝鮮や中国の「核の脅威」を口実に「核の傘」の提供を執拗に求めつづけ、「核態勢の見直し(NPR)」の更新作業にさえ介入してきたといわれる日本政府のあり方も大いに問題とされなければなるまい。自民党から民主党への政権交代が、この点に関わって、何をもたらすか注視しつつ、唯一の被爆国の国民として、また「平和的生存権」を謳う前文と「戦争放棄」「戦力放棄」の第9条を含む平和憲法をもつ国民として、日本国民が果たすべき国際的な責務と「道義的責任」をあらためて自覚しなければならないだろう。

 くり返しになるが、オバマ演説に象徴される「変化」は、大局的には、世界諸国民の世論と運動の力がもたらしたのであり、そうであればこそ、この「変化」を核兵器廃絶へと結実させる力もまた、世界諸国民の世論と運動以外にはない。2010年5月のNPT再検討会議を、「破滅的な核の恐怖にさらされた世界から核兵器のない平和で安全な世界へ」の歴史的な転換点とするため、いまこそ地球規模の連帯と行動が求められている。

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冨田起草委員長のNPT講座 第6回

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の機関紙『原水協通信』にQ&A形式のコラムの連載を行うことになりました。せっかくですので、このブログにも転載することにします。

Q.「テロと拡散」への予防的先制攻撃という危険なブッシュ・ドクトリンが破綻するなかで、それへの唯一有効な対案として、核兵器の廃絶が浮上してきたというわけですね。

A.そうですね。重要なのは、「テロと拡散」の危険への対案は核兵器の廃絶以外ないという立場は、世界大会の「国際会議宣言」がくり返し表明してきたものだということです。キッシンジャー氏ら4氏の呼びかけからオバマ大統領のプラハ演説にいたる新たな流れは、原水爆禁止世界大会のこの間の主張が、いかに先見的で、正しいものだったのかを証明しているわけです。ここに確信をもたなければならないと思います。

 もうひとつ重要なポイントは、キッシンジャー氏らの呼びかけにある「核兵器がますます広範囲に入手可能となるなかで、抑止力の有効性はますます低下する一方で危険性は増大している」というくだりです。核大国の中枢にいた人びとの間に、「核抑止力」の有効性への疑問が広がっているのだとすれば、これはとても重大なことです。

 「核抑止力」論というのは、「核兵器は戦争を抑止するものだ」という理屈で、「平和と安全を核兵器に頼る」という考え方です。これこそが核保有を正当化する主要な口実なんですね。要するに「刃向かえば核攻撃するぞ」と威嚇し、脅迫することで、相手の手を縛る。これが「核抑止」、つまり「核兵器による平和と安全」ということです。

 キッシンジャー氏らが、「テロと拡散」への恐怖をつのらせながら、ますます低下する「核抑止力」の有効性に疑問を表明しているのは、とても重大なポイントです。自らの命を顧みず「自爆攻撃」も辞さない「テロリスト」には、「核攻撃するぞ」という威嚇も、脅迫も通用しないのではないかというわけです。

 「核兵器のない世界」への動きに立ちはだかる障害のひとつはこの「核抑止力」論です。こうして「核抑止力」への疑問が広がっているとすれば、いまこそ、その息の根を止める絶好のチャンスなのではないでしょうか。

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