2005年8月17日 (水)

「『復初』の集い」にて

 8月15日。。。15年戦争終結の日であるとともに、丸山真男の命日でもあるこの日、「丸山真男手帖の会」主催による「『復初』の集い」が毎年開催されている。今年で6回目。。。

 戦後60年の節目のこの日、僕は午前中、一種異様な喧騒に包まれた靖国神社を訪ね、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で正午の黙祷をささげて、その足で「『復初』の集い」に参加した。

 今年の講演者は、憲法学者の樋口陽一氏。氏は、若き日の丸山が「個人は国家を媒介にしてはじめて具体的定立を得つつ、しかも国家に対しては常に否定的独立の関係に立たねばならぬ」と定式化した弁証法的全体主義の国家観とジャン・ジャック・ルソーrepubliqueとを重ね合わせつつ、今日におけるrepubliqueとしての国民国家の再建の重要性を力説した。

 氏によれば、現在進行中のグローバリズムの中で、郵政民営化にも見られるような国家の撤退と棄民政策(国民の資産を国家の保護の下からグローバルな金融市場へと移管してしまうという意味で…)が進行する一方で、国家を自然的・血統主義的民族(ethonos)によって簒奪しようとする動きが活発になっているという。僕が靖国で見た光景はまさにそれにあたるのだろう。

 こうした中で、自発的な規範形成能力を持った市民(citoiyen)に根ざし、ethonosではなくdemosによって形成されるrepubliqueとしての国民国家を再建することが急務となっている、と氏は主張する。ただ、こうした氏の立場は、今日では甚だ評判がよくない。国民国家の時代は終わり、グローバルな市民社会の時代が到来しつつあるという議論もまた有力だからだ。このような立場からは、氏のような議論は時代遅れの「近代主義」として、バッサリと切って捨てられることも多い。

 しかし、グローバリズムの中での国家の撤退と棄民政策の進行、その一方での民族(ethonos)による国家の簒奪の動きをまえにして、氏の言うような国民国家再建の課題を追求する人々と、グローバルな市民社会の発展にかける人々とが、相対立しているばかりでよいのであろうか?

 とはいうものの、世界社会フォーラムに示されるようなグローバルな市民社会の胎動と国民国家の再建を求める課題とは、どのようにして接合(articulate)され得るのだろうか?樋口氏は、国民国家の再建を求める人々と、グローバルな市民社会の発展を担おうとしている人々との、対話の必要性を強調したが、果たしてそれは、いかにして可能なのだろうか?答えは必ずしも簡単ではないようだ。

 樋口氏の問題提起に多くのことを考える機会を与えられた8月15日だった。

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